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広島地方裁判所 昭和59年(ワ)156号 判決 1987年11月27日

原告

新田俊夫

新田奈保江

右両名訴訟代理人弁護士

小笠豊

被告

頼肇基

右訴訟代理人弁護士

秋山光明

新谷昭治

主文

一  被告は、原告らに対し、各金二二五万円及びこれに対する昭和五八年七月一三日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、これを二分し、その一を原告らの負担とし、その余は被告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告らに対し、各五八〇万円及びこれに対する昭和五八年七月一三日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 原告らは昭和五七年四月一日婚姻した夫婦であり、被告は住所地において産婦人科医院を営むものである。

(二) 原告奈保江は、昭和五八年七月一三日、被告の医院で第一子を死産した。

2  経過

(一) 原告奈保江は、第一子を妊娠したため昭和五八年六月広島に里帰りし、六月六日から被告の医院において一週間に一度の間隔で診察を受けてきた。

(二) 七月一二日午後九時頃、破水し、羊水が緑色に混濁していたため、電話で被告の指示を受けて同日午後九時三〇分頃入院した。

(三) 入院後、診察を要請したが、当直の準看護婦野村美三子(以下「野村」という)が「夜間はみてもらえない」、「定期的な陣痛が起こつてから」と答えた。

(四) その後二度トイレに行つたが、多量の出血を伴う羊水の流出があつたため、驚いて再度医師である被告の診察を要請したが、野村から「夜間の診察は無理」と再び断られた。

(五) その後、陣痛の間隔も一〇分から三分間隔くらいに短くなつてきたため、午後一一時頃と一三日午前零時頃の二度、野村をブザーで呼んで被告の診察を要請したが、「まだ診察は無理」との返事だつた。

(六) その後も激しい腰痛と出血が続くため、一三日午前三時頃と五時頃の二度重ねて強く診察と胎児心音の聴取を要求したが、聞き入れられなかつた。

(七) その後も明け方まで異常な陣痛が続いたため、午前六時三〇分頃ブザーで野村を呼び、「どうみても尋常でない」旨訴えると、野村がやつと被告の指示を受けて胎児の心音を聴いたが、既に胎児心音はなかつた。

(八) 午前六時三八分頃、被告が初めて診察したが、胎児心音はやはりなくなつていた。

(九) その後、陣痛促進剤を使い、同日午後一時四五分に分娩したが、死産だつた。死産児の体重は四四五〇グラムで女だつた。

(一〇) 死産証書によれば、死産の原因は、胎児の側の直接原因(イ)循環障害、(ロ)右(イ)の原因は臍帯真結節、母の側の直接原因(イ)羊水混濁、(ロ)右(イ)の原因は前期破水、となつている。

(一一) その後の被告及び医師会の担当者との話合では、「看護婦から連絡がなかつたために診察しなかつた。死産の原因は臍帯真結節で、診察しなかつたことと死産との間に因果関係はない。ただ診察しなかつた点について見舞金を払いたい」旨の説明であつた。

3  死因

死産の原因は、臍帯真結節による臍帯血管の循環障害である。

4  責任

(一) 羊水混濁が存在した場合は、胎児低酸素状態(胎児仮死)を深く疑う必要がある。低酸素症を放置すると、胎児の中枢神経が障害を受け、低酸素性脳障害をおこし、さらに放置すれば、胎児は中枢神経系の酸素不足、循環不全のために死亡するに至る。胎児仮死(胎児の血液低酸素症)が診断されたら、速やかに原因を発見して除去する措置をとらなければならず、原因の発見と除去が困難で、時間的に急を要する場合、緊急の帝王切開手術が必要なこともある。

前期破水で羊水が緑色に混濁している場合、何等かの原因によつて胎児の低酸素症が発症している可能性が非常に高い(本件の場合、臍帯真結筋が原因となつて、臍帯血管が圧迫され、臍帯内部の血流が障害を受け、羊水混濁が生じたものと推測される)。

医師は、分娩開始、破水などで入院した産婦については、全身状態、分娩の進行状況、陣痛の状態及び胎児の全身状態を診察しなければならない。

胎児の全身状態を診察する方法としては、胎児心拍数の測定が最も重要であり、ドップラー法により、胎児心拍数の測定は比較的に安易にできる。

羊水の性状も胎児の状態を観察する有力な手掛りとなる(本件のように、既に破水しており、流出する羊水が茶褐色または緑色に混濁していた場合、胎児血液低酸素症の危険徴候が存在していることになるから、特に注意して、胎児心拍数を計測する必要があつた)。

看護婦や準看護婦は、医師の指示のもとに、産婦の看護を行うことができるが、厳密にいうと、準看護婦ひとりで産婦を管理、観察することは許されない。しかし、例えば、助産婦不足から、看護婦や準看護婦に産婦の管理を任せなければいけない施設では、医師があらかじめ看護婦に十分な教育をする義務がある。特に分娩中には、胎児に関して最も重要な観察事項である、胎児心拍数、羊水の性状と混濁の有無、それらの異常の場合に考え得る危険性などについて、十分に教育しておく必要がある(本件では、前期破水の際に、その羊水が黄色または緑色に混濁していたことを、産婦たる原告奈保江からの電話で被告も承知していたのであるから、当直の野村に、当該産婦の入院時には、胎児心拍数の計測、羊水性状の観察、それらの異常の有無の確認などを厳重に指示すべきであり、その後に連絡を受けた際にも、その都度、それらの事実について質問し、また、それらを記録しておくように指示すべきであつた)。

(二) 被告は、病院の三階の自宅にいたのに、午後九時三〇分という時刻に、羊水混濁のある前期破水の産婦たる原告奈保江を直接診察しなかつた。

被告は、破水し、羊水混濁のある同原告を、自ら一晩中診察せず、胎児の心拍数を計測しなかつたばかりか、当直の野村に胎児心拍数を計測するように指示もしていなかつたために、同原告の入院(一二日午後九時三〇分頃)から翌朝の午前六時三八分頃までの間に胎児に生じた徐脈などの危険徴候を発見しえず、そのため、帝王切開手術による胎児の救命の機会を失わせ死亡させた。

(三) 入院時に診察し(羊水の状態を観察し)、胎児心拍数の計測を頻回に行つた場合、胎児のたどる経過について次の四つの可能性が考えられる。

① 早期に徐脈を発見し、被告が早急に帝王切開手術を行うか、あるいは他の施設に転送して帝王切開手術を施行し、正常で健康な新生児を分娩し得た場合

② 早期に徐脈を発見し、帝王切開手術を施行したが、分娩前後に死亡するか、低酸素性脳障害(脳性麻痺)などの後遺症を残した場合

③ 徐脈が間欠的に不規則におこり、ドップラー法による胎児心拍数の計測で徐脈が発見でき胎児に危険の迫つていることが診断されないでいるうちに、突然臍帯真結節の結び目が固く絞られ、死亡した場合

④ 入院時、既に死亡していた可能性。但し、娩出された胎児に浸軟徴候が存在していなかつたから、入院前に死亡していた可能性は低い。

以上、四つの経過をたどつた可能性があるところ、それぞれの経過がどの程度の確率で起こり得たかについては、鑑定書によれば推測不可能とされるが、被告が産婦の入院時から胎児の心拍数を注意して間欠的に監視しておれば、①の経過をたどり、健康で正常な新生児を分娩し得た高度の蓋然性がある。

(四) 債務不履行責任及び不法行為責任

原告奈保江は被告の医院に入院するに際し、被告との間で、被告は産科医師としての最善の注意義務をもつて、分娩の管理・遂行にあたる旨契約した。

ところが、被告は、同原告が入院した昭和五八年七月一二日午後九時三〇分頃から翌一三日午前七時頃まで全然診察しなかつたものであるから、右所為は診療契約上の医師としての注意義務に違反するものであり、後記損害を賠償する責を負う。

被告の右所為は、同時に不法行為にもあたる。

原告らは、本訴において、被告の右の損害賠償責任を選択的に主張する。

5  損害

(一) 慰藉料

原告奈保江が三〇歳になつてからの初産であり、出産間近になり、何度も診察を頼んだのに、全然診察されなかつたために起こつた事故であり、第一子の出産を心待ちにしていた原告らの落胆、悲しみは大きく、被告の怠慢、不誠実な態度に対する怒りも大きい。

原告らの右苦痛は一〇〇〇万円(各五〇〇万円)をもつて慰藉されるのが相当である。

(二) 逸失利益

死産児は出産直前の女児であつたから、零歳児としての逸失利益も請求する。その就労可能年数は四九年で、ホフマン係数は16.4192であり、一八歳女子の平均年収は一五〇万円、生活費控除を三〇パーセントとすると、逸失利益は一七二四万〇一六〇円となる。原告らは、胎児の取得した右損害賠償請求権を二分の一ずつ相続した。

(算式)

150万円×16.4192×0.7=1724万0160円

(三) 弁護士費用

被告の負担すべき弁護士費用としては、日弁連報酬等基準規定による手数料及び謝金の合計額一六〇万円(各八〇万円)が相当である。

よつて、原告らは、被告に対し、右の慰藉料及び逸失利益のうちの五〇〇万円と弁護士費用八〇万円との合計額である各五八〇万円並びにこれに対する死産の日である昭和五八年七月一三日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1の事実は、(一)のうち原告らがその主張の日に婚姻した夫婦であることは知らず、その余の事実は認める。

2について。(一)の事実は認める。(二)の事実のうち、羊水が緑色に混濁していたことは否認し、その余は認める。(三)ないし(六)の各事実は知らない。但し、(四)のうちの多量の出血があつたとの点は否認する。(七)のうち、原告がその主張のころ看護婦を呼んだこと、及び看護婦が直ちに胎児心音を聴いたところ心音がなかつたことは認める。(八)ないし(一一)の各事実は認める。

3の事実は認める。

4の(一)について、臍帯真結節その他の理由による胎児の低酸素症ひいては胎児の仮死の診断に関して、胎児心音の測定が必要であることは認める。但し、ドップラー法による心拍数測定において、胎児心拍数の減少即ち徐脈が認められてもその程度や陣痛発作との関係により、徐脈が常に危険な徴候であるとはいえない。4の(二)のうち、原告奈保江の入院時である七月一二日午後九時三〇分頃以降翌一三日午前六時三八分頃までの間、被告が原告奈保江に対する診察、とくに胎児心音の測定をしなかつたことは認め、その余は争う。死因は臍帯真結節であるから、後に述べるとおり、被告が右の間診察しなかつたことと胎児が右死因で死亡したこととの間に因果関係はない。4の(三)について。臍帯真結節は、児娩出後、真結節を確認するまでは確診が不能である。仮に被告がドップラー法により胎児の心音を測定したとしても、ドップラー法の場合、胎児心拍数と陣痛の連続的観察記録はできないのであるから、胎児の低酸素症ひいては胎児の仮死の診断がなしえたか否かは疑問である。仮に、胎児に危険の切迫した徐脈もしくは胎児仮死が診断された場合においても、胎児の血液低酸素症の原因とその除去措置をとることは極めて困難であり、かつ時間的に急を要することが多い。本件の場合、胎内死亡を確認した七月一三日午前六時三八分頃の時点でも子宮口は全開大に至つていないのであるから、それ以前において急速遂娩の方法はとりえなかつた。帝王切開手術にしても、胎児の救命が可能であつたとは単純にはいいきれない。原告奈保江が正常な新生児を分娩しえた場合とは、臍帯真結節による循環不全が生じ、その結果比較的早期に胎児の徐脈が発見され、かつ帝王切開による娩出が時間的に間に合つた場合の仮定に立脚するものにすぎない。従つて、被告が診察しなかつたことと胎児が死亡したこととの間に相当因果関係がある趣旨の原告らの主張は争う。4の(四)のうち、原告ら主張の診療契約を結んだことは認めるが、被告に責任があるとの点は争う。

5はいずれも争う。

三  被告の主張

1  被告の診療経過は以下に述べるとおりである。即ち、

(一) 原告奈保江の初診は昭和五八年六月六日である。右初診以降の定期検診においても同原告にはさしたる異常はなく、とくに胎児心音は正常に聴取されていた。七月一一日もそれまで同様、ドップラー法による胎児心音聴取には異常がなかつた。

(二) 七月一二日午後九時過ぎ頃、原告奈保江から電話があり、破水し、羊水混濁があるということであつたので、被告は、直ちに入院するよう指示するとともに、破水があれば余り動かないようにとの指示を与えた。

(三) 同日午後九時三〇分頃、原告奈保江は歩行にて入院した。

右入院時、被告は、当直の準看護婦野村から、破水及び羊水混濁があり、陣痛は不規則である旨の報告を受けたので、安静と抗生物質投与をして経過を観察するよう指示した。

午後一一時頃、被告から野村に電話をして状況を尋ねたところ、陣痛はまだ不規則である旨の報告であつた。午後一二時頃、野村から、規則的陣痛があることや羊水及び出血が少量であつたとの報告を受けたので、被告はなお経過を観察するように指示した。

(四) 七月一三日午前六時過ぎ頃、四分間隔で規則的陣痛があること、出血が少量あり、陣痛が強くなつたこと、付添の母が診察を要望していることの報告を受けた。そこで、被告は、痛み止めと子宮口開大作用を考えて鎮痙剤ブスコパン一Aの注射の指示と同時に胎児心音を測定するよう指示した。野村は右の注射をしたうえ、胎児心音の聴取をしたところ、心音が聞こえなかつたので、その旨被告に報告した。

午前六時三八分頃、右報告を受け、被告は直ちに病室に至り、胎児心音の聴取をしようとしたが、心音はなかつた。内診の結果、子宮口四指開大、羊水少量流出、黄色混濁であつた。ここで、被告は、胎児胎内死亡を確認した。

(五) 午前一一時四〇分、陣痛微弱のため、五パーセントブドウ糖液五〇〇ccに陣痛促進剤プロタモジン一〇〇〇v二Aを加えて点滴注射をした。

午後一時四五分、死産児(女)四四五〇グラムを娩出した。

児頭娩出時、臍帯頸部一回巻絡、臍帯真結節一か所を確認した。

午後三時〇五分、胎盤娩出しないため胎盤用手剥離を施行したところ、胎盤は子宮後壁から子宮底部にかけ癒着していた。臍帯の長さは五〇センチメートルで、左に捻転していた。

2  本件胎児の死因は、前述のとおり臍帯真結節であり、児娩出後真結節を確認するまでは確診不能のものである。被告が診察しておれば胎児を救命することができたとする可能性は極めて限られた条件のもとにおいてのみ肯定できるにすぎないから、仮に被告の診察における落度と胎児の死亡との間に因果関係が肯定されるとしても、右死因は損害額の算定にあたり胎児側の素因の寄与として斟酌されるべきである(過失相殺の法理の類推適用)。

四  被告の主張に対する認否

1の事実は、請求原因2で主張した限度で認め、その余は争う。

2は争う(但し、死因が臍帯真結節であることは認める)。

第三  証拠<省略>

理由

一請求原因1の事実は、原告らがその主張する日に婚姻した夫婦であることを除き、当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、原告らは昭和五七年四月一日婚姻した夫婦であることが認められる。

二請求原因2の事実のうち、原告奈保江が第一子を妊娠したため昭和五八年六月広島に里帰りし、六月六日から被告の医院において一週間に一度の間隔で診察を受けてきたこと、七月一二日午後九時頃破水したため電話で被告の指示を受けて同日午後九時三〇分頃入院したこと、原告奈保江が七月一三日午前六時三〇分頃準看護婦の野村を呼んだこと、野村が直ちに胎児の心音を聴いたところ心音がなかつたこと、及び請求原因2の(八)ないし(一一)の各事実は当事者間に争いがない。

そして、<証拠>を総合すれば、初診の昭和五八年六月六日以降の定期検診においても原告奈保江にはさしたる異常はなく、とくに胎児心音は正常に聴取されていたこと、七月一一日もそれまでと同様ドップラー法による胎児心音聴取には異常がなかつたこと、原告奈保江が七月一二日午後九時頃破水したときの羊水は緑色に混濁しており、その旨被告に告げたこと、原告奈保江は右入院後、野村に対して被告の診察を要請したが、野村は「夜間はみてもらえない、定期的な陣痛が起こつてから」と答えたこと、午後一〇時頃二度ばかり便所に行つたところ、出血を伴う羊水の流出があつたため、再度被告の診察を要請したが、野村は被告にその旨連絡しなかつたこと、その夜、陣痛の間隔も一〇分から五、六分間くらいに短かくなつてきたため、午後一一時頃と翌一三日午前零時頃の二度野村を呼んで被告の診察を要請したけれども、「まだ診察は無理」との返事だったこと、その後も激しい腰痛と出血とが続いたため、同日午前三時頃と五時頃の二度重ねて診察と胎児心音の聴取を要望したが、聞き入れられなかつたこと、その後も異常な陣痛が続いたため、午前六時三〇分頃野村を呼んで「どうみても尋常ではない」と訴えたこと、他方、被告は、原告奈保江の右入院時、野村から、同原告には破水及び羊水混濁があり、陣痛は不規則である旨の報告を受けたので、野村に対して、安静と抗生物質投与をして経過を観察するよう指示したこと、七月一二日午後一一時頃、被告は野村に電話して状況を尋ねたが、陣痛はまだ不規則であるとのことであつたこと、翌一三日午前零時頃、野村から規則的陣痛があることや羊水及び出血が少量あつたとの報告を受けたので、被告はなお経過を観察するよう指示したこと、午前六時過ぎ頃、四分間隔で規則的陣痛があること、出血が少量あり陣痛が強くなつたこと、付添の母親が診察を要望していることの報告を受けたので、被告は、痛止めと子宮口開大作用を考えて鎮痙剤ブスコパン一Aの注射の指示と同時に胎児心音を測定するよう指示したこと、野村は右注射をしたうえ胎児心音の聴取をしたところ、心音が聞こえなかつたので、その旨被告に報告したこと、午前六時三八分頃右報告を受け、被告は直ちに病室に至り、胎児心音の聴取をしようとしたが、心音はなかつたこと、内診した結果、子宮口四指開大、羊水少量流出、黄褐色混濁であつたので、ここで被告は、胎児胎内死亡を確認したこと、午前一一時四〇分頃、陣痛微弱のため、五パーセントブドウ糖液五〇〇ccに陣痛促進剤プロタモジン一〇〇〇V二Aを加えて点滴注射をしたこと、午後一時四五分、死産児(女)四四五〇グラムを娩出したこと、児頭娩出時、臍帯頸部一回巻絡、臍帯真結節一か所を確認したこと、午後三時〇五分頃、胎盤娩出しないため胎盤用手剥離を施行したところ、胎盤は子宮後壁から子宮底部にかけ癒着しており、臍帯の長さは約五〇センチメートルであつたことが認められ、右認定に反するような<証拠>はたやすく信用することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

七月一二日午後一〇時頃原告奈保江に羊水漏出があつたことは右に認定したとおりであるが、右羊水の色調については<証拠>中に、血が混じつており赤いとしか見えなかつた旨の供述部分があるのみで、右色調を的確に認めるに足りる証拠はない。

なお、<証拠>によれば、羊水混濁がある場合、色調は必ずしも一定しているというものではなく、羊水の新陳代謝により変動してゆくものであることが認められるから、右の認定(七月一二日午後九時頃緑色で、翌一三日午前六時三八分頃黄褐色)は矛盾するものではない。

三請求原因3の事実は、当事者間に争いがない。

<証拠>を総合すると、臍帯真結節とは、臍帯が実際に結ばれるもののことで、妊娠早期に胎児運動が比較的自由で臍帯が長いとき胎児が臍帯の係蹄を通過することにより起こるものといわれ、無障害に経過する場合もあるが、臍帯血行障害による胎児死亡をきたすこともあるとされていること、わが国では発生頻度が0.14から0.75パーセントであるといわれ、約0.5パーセントくらいであるとする書物もあること、臍帯真結節の危険性の度合について、ある文献では、妊娠中、ことにその早期に臍帯真結節が発生し、胎児運動によつて結節が固く結ばれると胎児死亡の原因となる、しかし、通常はうつ血程度であつて、血行が遮断されるほど強い締め方はまれであると説明されていること、最近では分娩監視装置の進歩によつて胎児心拍数の変化を継続的に観察することが可能となつたため、胎児心拍数の詳細な分析が可能となり、胎児にとつて比較的危険の少ない徐脈や血管が圧迫された場合に起こる特徴的な徐脈などについて診断することが可能になつたこと、しかし、臍帯の下垂、脱出、巻絡、結節などがあると分娩中に臍帯が圧迫されやすく、その際には内部の臍帯血管の圧迫による血流障害がおこり、胎児の低酸素症や循環障害が惹起されて徐脈がおこるので、分娩監視装置のない場合でも、分娩中の胎児の状態を監視するためには胎児心拍数の計測は不可欠のものであり、これ以外に胎児の状態を推測し得る方法はないこと、内診は臍帯真結節の診断や予測には直接の役にたたないこと、臍帯真結節は胎児娩出により確認するまではいまだ確診不能であることが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

四請求原因4について検討する。

請求原因4の(一)の事実は、本文の一般論的な部分及び本件に即した主張である括弧内の具体的な部分のいずれもが、<証拠>により認められる(但し、右のうち、臍帯真結節その他の理由による胎児の低酸素症ひいては胎児仮死の診断に関して胎児心音の測定が必要であることは、当事者間に争いがない)。もつとも、被告の主張するとおり、徐脈の程度や陣痛発作との関係により徐脈が常に危険な徴候ばかりとはいえないこと(例えば、通常、陣痛発作の最も強い時期には子宮・胎盤を流れる母体の血液が減少し、胎児に軽度の低酸素状態が惹起されるために胎児の心拍数が遅くなり、また、胎児の頭部が圧迫されることによつて中枢神経の反射的機序により胎児の心拍数は低下し徐脈となるが、これらの徐脈は危険のないものとされている)も、<証拠>によりこれを認めることができる。

請求原因4の(二)の事実のうち、原告奈保江の入院時である七月一二日午後九時三〇分頃以降翌一三日午前六時三八分頃までの間、被告が原告奈保江に対する診察、とくに胎児心音の測定をしなかつたことは当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、被告は、原告奈保江の入院時、医院の三階にある自宅にいたこと、被告は、当直の準看護婦の野村に対し、二で認定した以外には、原告奈保江の胎児の心拍数を計測するように指示をしなかつた(野村が自らの判断で心拍数を計測したこともなかつた)ことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない(因果関係については次に検討する)。

<証拠>によれば、通常の診療所で陣痛発作のある産婦に対して一般に要求されている程度の適切な観察・処置を行つていたならば(一般の診療所では陣痛の間欠期に一〇分から一五分間隔の一定時間毎にドップラー胎児心拍検出装置によつて胎児心拍数を聴取し計測するのが最も普通の観察方法である)、その胎児のたどる経過について請求原因4の(三)で原告らがいう四つの可能性があつたこと、もつとも、そのうち原告らのいう④(原告奈保江の入院時すでに胎児が死亡していた)の可能性は低いものである(<証拠>中にも、右可能性がないとはいえない旨の供述部分がある程度にすぎず、入院後の胎動について、原告奈保江が余り感じなかつたと説明した旨供述しながら、ただ動きが鈍いだけであつて、全然動かないことはまずないと供述している)ことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

<証拠>では、右の四つの可能性がどの程度の確率でおこり得たかについては推測不可能であるとされる(臍帯真結節がその当時子宮内でどのような状態になつていたかを詳細に知ることは不可能であるため、臍帯血管の圧迫がどの程度の速度で進行したかは推測が困難である)が、前期破水で羊水が混濁していたのであるから、被告が、原告奈保江の入院時から胎児の心拍数を注意して間欠的に管理しておれば、被告の主張を考慮しても、右の①の経過をたどつた蓋然性、即ち、分娩の進行につれて胎児が産道内を下降するので臍帯が牽引され臍帯真結節のむすび目が次第に絞められた状態となり、或いは陣痛の発作や胎児の運動などで真結節のむすび目が固くなり圧迫をうけ、内部の臍帯血管の血流が障害されて酸素の供給不足或いは胎児の循環不全がおこり、その結果胎児徐脈を来たし、入院時或いは比較的早期に胎児の徐脈が発見され、胎児に低酸素状態が発現していることを診断し、その時点で急速遂娩術を行うことを決定し、本件の場合には頸管が未だ充分に開大していなかつたから帝王切開手術を被告の診療所で行つたか或いは他の医療施設に転送して手術を施行し、低酸素状態が悪化する前に娩出に成功し正常で健康な新生児を分娩しえた蓋然性がかなりの程度あつたものと認めるのが相当である。

従つて、被告は、原告奈保江との間の診療契約に基づく注意義務(原告ら主張の診療契約が締結されたことは、当事者間に争いがない)を充分に尽くしたものとはいえず(債務不履行)、また、原告奈保江に対する適当な観察・処置を怠つたものというべきであり(不法行為)、その結果、本件胎児の救命の機会を失い、胎児を死亡するに至らせたものというべきであるから、これにより原告らの被つた損害を賠償すべき責任がある。

もつとも、本件胎児の死因は臍帯真結節であるから、原告らのいう右②ないし④の経過をたどつた可能性(但し、④の可能性が低いことは前述したとおり)を否定し去ることはできず、損害額の算定にあたつては、右の死因は、胎児側素因の寄与として過失相殺の法理の類推適用により斟酌するのが相当である(被告の主張2)。

五<証拠>によれば、原告らは第一子である本件胎児の出産を心待ちにしていたことが認められ、胎児の生命を失つたことにより原告らが無念の苦痛を受けたであろうことは容易に推認できるところであり、二で認定した原告奈保江の入院後の経緯、四で述べた胎児側の素因など諸般の事情を考え合わせると、原告らの右苦痛は各二〇〇万円をもつて慰藉されるのが相当である。

原告らは、本件胎児について逸失利益をも請求しているが、胎児である間に生命を失つた場合(本件はこの場合である)には、胎児を被相続人とする相続ということは考える余地がなく、(不法行為に基づく)損害賠償請求権を取得しうべき胎児が結局生きて生まれなかつた場合には、特段の規定をまたずに、損害賠償請求権も結局取得する余地はなかつたものと解するのが相当であるから、右主張は失当である。

本件事案の内容、審理経過、認容額等に照らすと、原告らが被告に対して本件による損害として賠償を求め得る弁護士費用の額は各二五万円とするのが相当であると認められる。

六結論

よつて、原告らの本訴請求は、それぞれ二二五万円とこれに対する死産の日である(不法行為の日である)昭和五八年七月一三日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるから認容し、その余は失当であるから棄却し、訴訟費用の負担について民訴法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言について同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官山﨑宏)

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